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2023年6月6日

横浜人形の家へ行きました。

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少し前の話になりますが、GW中に横浜人形の家へ行ってきました。

一番のお目当ては、この企画展「ぬいぐるみのげんざいちー作家たちと見つめる 様々なぬいぐるみのありかたー」です。

現代のぬいぐるみ作家さん8名の約70点の作品を展示と、参加作家のお1人、Frederic(貝戸由希)さんが20年間で2000体以上を制作してきた、くまのぬいぐるみ「ボーちゃん」の写真パネルや資料の展示です。
作家、所有者、研究者、パフォーマーなど様々な視点から、ぬいぐるみと人との関係性について紹介し、ぬいぐるみの「今」について明らかにしてゆく展示です。

※横浜人形の家のHPより


アイキャッチの写真はfredericさん作のぬいぐるみコーナーです。その中の中央に座っているくまが「ボーちゃん」です。
この子私も持っています。10年以上も前に今はもう閉店してしまったLamp原宿で、この微妙な表情に何かを感じて即買いしたのと同じ子、でも手作りの歪みで微妙に違う子。
今回はこの子に導かれてこの博物館に来ました。

展示では、Coci la elleの作家さんでもあるひがしちかさんの娘さんとぼーちゃんとの深い家族のような関係についての文章と写真の展示がありました。
家族の一員としてのぬいぐるみと母娘の関係が
ノスタルジックで美しい写真と一緒に綴られていました。

そもそも人って何でぬいぐるみには命は宿っていないと知りながらも、一緒に寝たり、お出かけしたりするのでしょうか。

私も子供の頃からぬいぐるみが大好きで、2段ベッドの上段の足元にずらーっとぬいぐるみを並べていました。

ジェニー(タカラトミーの和製バービー、今は販売されていない)も大好きで
自分が洋服を買ってもらえないうっぷんを着せ替え遊びをすることによって晴らしていたのか、さらにお人形のお洋服も買ってもらえないので、とうとう自分で作り出して、自分のドレスは作れないけどお人形のドレスは物理的に小さいので作れる、というふうに、自分自身には叶えられない望みをお人形で叶えようとしていたのかもしれません。

だいぶ話が逸れましたが、

他の作家さんの展示もあり、ゆるくて不思議かわいい
ぬいぐるみ職人スー(9歳)さんの作品も好みでした。

※ぬいぐるみ職人スー(9歳)さんの作品

 

特別展を見た後は、常設展を見ました。入ってすぐに展示してあったのは
「青い目の人形」でした。

1927(昭和2)年にアメリカ人宣教師、シドニー・ギューリックさんのアイデアで、渋沢栄一さんが日本国際児童親善会という組織を立ち上げて受け入れたアメリカのお人形です。

当時、日本人の移民を排斥する運動が広がりつつある日米関係の悪化の中で、日米の関係改善の為に、アメリカから日本に「友情の人形」を贈ろうとアメリカの人々に呼びかけ集められた12,739体ものお人形が、3月の雛祭りに合わせて到着したのでした。この子達には1体ずつに名前とパスポートが付けられていました。

それに呼応して日本では、お礼のお人形を贈ろうと小学生たちが一銭募金をし、そのお金で立派な58体の日本人形を作ってアメリカに贈り、大歓迎を受けたそうです。
この日本の子達にも「ミス大日本」「ミス北海道」「ミス愛媛」と名前が付けらました。

その後、1941年に日米の戦争が始まってからは

青い目の人形は、敵国のスパイとされ、焼かれたり壊されたり、酷い仕打ちを受けるのですが、その中でも心優しい人によって隠されたり、匿われたりして生き残ったお人形が334体いたそうです。

写真の子、新友情人形 ジェニファさん は、1991年に来た子ですので、戦後の「青い目の人形」ですが、この子もバッグを持っていて、その中に綺麗なお着替えがきちんと入っているのを見ると、この子を送り出した人のお母さん的な、又は、お姉ちゃん的な人の愛情をとても感じるのです。

参考:國學院大学HP内 青い目の人形を受け入れた渋沢栄一が考えていたこと

参考:日本赤十字社 平和の心が宿る青い目の人形 PDF

 

最初はくまのボーちゃんに導かれて訪れた横浜人形博物館でしたが、

意図していなかった出会いがあり

とても興味深く、感慨深いお出かけとなりました。

 

横浜人形の家

デザイナー

takayama

ひらめく事、大胆なデザインが得意

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