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2022年11月8日
舞台「夏の砂の上」を観る。(注!ネタバレあり)
友人からチケットを譲り受け、舞台「夏の砂の上」を観てきました。今回は、その舞台について⚠️ネタバレ込みで感想をつらつら書いてみようと思います。
場所は世田谷パブリックシアター。大き過ぎず、座席がステージを中心に弧を描くように配置されているので、とても見やすい劇場です。内装も雰囲気があっておしゃれ!
演出は栗山民也さん。以前手掛けた舞台「CHIMERICA」ではクライマックスに度肝を抜かれた経験がありますが、今回は真逆を行く「静」の舞台です。
90年代の長崎は港近くにある、やや寂れた街を背景に物語は展開します。
最初から最後まで、ちゃぶ台と扇風機が置かれた居間をメインに、極力ミニマムな舞台で繰り広げられる、いわゆる会話劇なのですが、主人公のセリフはそんなに多くありません。なぜなら、田中圭演じる小浦治はかつて4歳の息子を水の事故で亡くし、ついには職を失い妻にも家を出て行かれ無気力な日々を過ごす男。
冒頭、妹に頼まれ姪を預かるところから、劇中ほぼ受け身で話が進んでいきます。
雨がなかなか降らず断水に見舞われた、まさに『夏の砂の上』ような治の家にも入れ替わり立ち替わり、ぽつりぽつりと人が訪れる。その人々も人生に何らかの渇きを抱えていて、「こうしてはいられない」とこの街を、治の元を去っていきます。それでも治は動かない。「断水は役所に相談すれば良い」とアドバイスされても頑なに。どうにか職を見つけるも、治の心は一層渇いていきます。
そんな折、天の恵みかのように雨が降ります。姪と奪い合うように溜まった雨水を飲み干すその姿は、渇きを癒され心身ともに息を吹き返したかのように見えたのですが…
結論からいうと、この話に救いはありません。ただひたすら、一人の男の悲哀とやるせなさが綴られています。人は感情が渇くと絶望すら感じなくなってしまうのか…そんな主人公を、田中圭は台詞の外で、感情の抜け落ちた表情であったり、丸い背中や凪いだ口調などなどで表現していました。
劇中では照明の効果がとても印象的でした。閉ざされた空間に明り取りのような窓からもたらされる時の変化。そしてラストシーンで主人公に差した光…残暑の光なのか、それともかつて長崎の上空で放たれたあの光を浴びた時のように蒸発して消えてしまいそうな、どちらにしても希望を感じない光。
そしてカーテンコールが終わった頃には、役者の皆さんの演技にあてられ、喉がとても渇いていることに気づくのです。友人と別れてから持っていたペットボトルをがぶ飲みしてしまったのですが、帰りの電車の中でパンフレットを読んで「してやられたな」と思いました。栗山さんの狙い通り、まんまと劇中の人物と「渇き」を共有してしまっていたわけです。
舞台は生物(イキモノ・ナマモノ)といわれます。映画やドラマと違って、公演ごとに成熟し、同じ脚本でも演出・演者次第で印象が変わったり、時にはハプニングが起こることもあるからです。こう書くと音楽のLIVEツアーと似ていますが、一味違うワクワクを体感したい方は覗いてみるのも良いのではないでしょうか。
デザイナー
fukaminato
猫のために生きてますが、ネットがないと生きていけない
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